銭湯を通して日本の文化を残したい 小杉湯原宿の若手番頭 関根江里子さん

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1933年(昭和8年)に高円寺で創業した銭湯「小杉湯」。そんな老舗銭湯は、2024年4月にオープンした商業施設・東急プラザ原宿「ハラカド」の地下1階で、新たに「小杉湯原宿」を開業しました。番頭を務める株式会社小杉湯の副社長、関根江里子さんが目指したのは、風呂のみのこじんまりとした「街の銭湯」。

近所に住み、大学帰りに何度も小杉湯原宿に通っている私が、関根さんに小杉湯原宿やご自身の経歴、銭湯や文化に対する思いや、これからの小杉湯原宿についてお伺いしました。

金融から小杉湯原宿の番頭へ

ーー関根さんは、元々金融系のお仕事をされていたと伺いました。それなのになぜ銭湯で働こうと思ったのか、そして銭湯の中でもなぜ小杉湯にされたのでしょうか。

「私は父親が60歳の時に生まれた子供で、大学を卒業した時にはもうすでに介護が必要な状況で、仕事と介護の両立が難しく、新卒で入った会社を2年で辞めざるを得ませんでした。そのため、介護と両立して働ける『Payme(ペイミー)』という企業に転職したのち、取締役として経営を行うこととなりました。経営が苦しい中で会社を引き継いだこともあり、本質的にサービスを良くしていくよりも、株主が納得する方向に努力することが多く、マネーゲームの渦中にいるなと感じていました。次第に、自分がこのサービスを社会に残したいと思う感情がなくなり、本当に社会に必要だと思う事業に命を燃やしたいと思うようになりました。肩書きを背負い日々働いている私。そんな中、ある日銭湯に行ったのですが、その銭湯での何物でもない自分として過ごしたなんでもない時間に、すごく意味を感じたんです。その時に、突然『私は銭湯を経営して、これに人生をかけるんだ』と思ったんです。そこから会社を引き継いでくれる方を探し、半年くらい銭湯でアルバイトをしながら東京中の銭湯を巡りました。そんな中で出会ったのが小杉湯3代目の平松佑介でした。

当時、小杉湯は東急不動産と原宿で銭湯をやるかどうか話し合っている真っ只中。みんな高円寺の小杉湯が好きだったので原宿を応援してくれる人がほとんどいない状況でした。そんな中で佑介さんは、私をSNS上で見た時に『この子が原宿にいいんじゃないか』と思い声をかけたそうで、その後、何回かお会いしていく中で、私は小杉湯に入ろうと決めました。
小杉湯は本当に銭湯的なものを社会に残そうと頑張っている会社。佑介さんは小杉湯の可能性を信じていて、どうにかして小杉湯・銭湯を社会に残そうと奮闘していました。そして小杉湯の周りには同じ思いを持った人々が集まっており、それに惹かれて小杉湯に入ると覚悟を決められたんだと思います。仮に同じ原宿でも、小杉湯でなければやっていなかったと思います」

▲こじんまりとした小杉湯原宿の浴室。温冷交互浴が楽しめる。

ーー小杉湯原宿で番頭をやることになったのは、本当の銭湯を社会に残そうとする小杉湯のみなさんや、平松さんに同じ感情や共感を抱いたからなんですね。

「そうですね。佑介さんの考えや性格と、自分の幼少期の体験が、小杉湯原宿で番頭をやろうとしたことに大きく影響していますね。
私の父親は掃除の仕事をしながら私を大学まで進学させてくれました。そんな私から見た社会と、父親が目の前で差別される姿が幼少期から日常に共存していて、人を見た目と肩書きから判断する社会に反感を抱いていました。そんな経験から、肩書きや見た目が分からなくなる銭湯が好きになるきっかけにもなるのですが、私はいつか起業して良い社会をつくるんだと、社会に反感を抱いた小学生の時から思っていました。
でも、大人になった時、私は誰が社会を本当に変えられるのだろうと考えていたのですが、平松家のみなさんは共通して、社会はいいものであるという前提で考えているんです。変える必要のないこの社会にある銭湯として、どのような優しい空間が提案できるかという順番で場を作るんです。私はそんな考えを持つこの人こそが社会を良くできるんじゃないかと思いました。身なりや肩書きのない、ただ湯を共有する場所を作ることで、自分が今まで抱いていた感情がもっと滑らかに、柔らかに社会に伝わるのではないかと思い、小杉湯原宿の番頭をやりたいと思いました」

小杉湯原宿での関根さんが続ける早朝のルーティーン

ーー関根さんはいつもどのようなスケジュールでどんなお仕事や活動をされているのですか。

「小杉湯原宿は朝7時から営業しているので、朝3時半に起床、4時に出社したら3時間かけて掃除をしてから開店します。開店したら一度お風呂に入り、そこからは企画会議や商談など、外に出たりしてしまいます。なので現場は他の方々に任せて、夕方から夜にかけて帰るというスケジュールが一番多いです」

ーー朝に3時間掃除をするというのは、とても長い時間だと思うのですが、自らが現場の掃除を行うことには、何か関根さんの思いがあるのでしょうか。

「自分の経営思想みたいな部分が強く出ていると思います。小杉湯は小さくて深い組織であるからこそ、闇雲に会社を大きくして、短期的に爆発的な売上を出すのではなく、すごく濃く密な組織で10年、50年と見たときに日本文化や社会に一番インパクトを与えられる会社でありたいと思っています。そのために避けるべきことは、経営と現場の分断です。銭湯の経営は、「場を作ること」だと思っているので、小杉湯原宿では社員全員が現場をやるようにしています。
全員が現場で掃除をすることで、例えばPOPの貼る位置や、アメニティを置く場所やそこでないといけない理由などを伝える機会につながるんです。このように場に対しどう考えるかを伝えることは、経営思想を伝えることにもつながり、全てに一体感が生まれます。なのでこれから10年、20年も掃除だけは辞めません」

ーー高円寺とは違う環境にある小杉湯原宿ですが、原宿だからこそ番頭として意識していることなどはありますか。

「私は番頭としてみんなに細かい事を言わないということをすごく意識しています。
前提として、小杉湯原宿の空間は、顧問設計士と連携して、人が自然と集まるような日常的な場を作ることに力を入れました。実際、開業1か月目にして私たちが意図していた銭湯の空間ができあがったというのはすごい驚きでした。
銭湯らしい空間ができ始めている以上、細かい実務には踏み込まず、みんなが自分たちのやりやすいようにして欲しいって思っています」

関根さんの考える銭湯のこと、文化のこと

ーーサウナなどが流行る中、小杉湯原宿はシンプルな風呂のみの銭湯ですが、そこには関根さんの考えや想いがあるのでしょうか。

「現代の大衆浴場は、西洋のようなサウナ施設やスーパー銭湯などが人気ですよね。これは銭湯だけでなく日本文化においても言えることですが、現代では、自分たちがずっと大切にしてきた歴史とか伝統が軽視され、新しいものに上書きされてしまうことが多くあります。そんな中、銭湯はどんどん数を減らしていて、銭湯文化はもはや瀕死状態だと私は思っています。

人が行き交い、肩書きのない者同士がただ湯に浸かる。このことに銭湯の本当の価値があるということを小杉湯が伝えていかなければ、銭湯文化という物はなくなってしまうと思っています。
このようなことから、もし小杉湯にサウナがあったら、一番伝えたいことが伝わらないと思いました。なので、サウナがある予定だった図面を全部書き直して、風呂だけの空間にしたという背景があります。
でも、商業の時間軸と文化の時間軸は合わさることがないので、このような空間を完成させるのにはとても苦労しました。商業の時間軸は短期間でどれだけバズらせ、収益を得ることが重要です。一方で、小杉湯は、文化の時間軸としてお金がつかなくても、5年、10年かけて『街の銭湯』としての魅力を発信させることが重要で、2つのせめぎあいに苦労しました。
経済的に難しいことをやろうとしていたため、苦しい時もありましたが、結果的に商業中心ではなく、『街の銭湯』として開業したことが注目されたため、経済性でみても文化の時間軸で進めて正解でした」

ーー小杉湯原宿は、町の銭湯を軸にしつつも、入浴後の空間や協賛ブースなどは個性的で洗練されています。このような空間にもなにか想いがあるのでしょうか。

「最初はこの空間を企業へのレンタルスペースのようにするアイディアもありました。しかし、100年変わらない場所を作ろうとしている小杉湯が、短期間で変わる場所をフロアに持つことは銭湯的でないと思い、何か代案はないかずっと葛藤していました。暗中模索の中、まず決めたことは、関わってくださる企業さんにが場所を作っていただくのではなく、場所を活かすように設計したのです。つまり、先に場所は全て作り上げてしまい、その場所に掛け算する形で企業さんの商品やパネルを搬入するという順番です。現在のドリンクスタンドや畳などの協賛ブースは、たとえ企業がいなくてもドリンクスタンドや畳のままなんです。10年後も平日の朝から商業施設に人がいるにはどんな場所が必要かを考えてこの空間を作り上げました」

▲関根さんの思いが詰まった小杉湯原宿と同じフロアにある休憩スペース「チカイチ」

ーー若者の街である原宿に開業した小杉湯ですが、若者の銭湯離れが進むことについてはどうお考えですか。

「私はこのことについて危機感とかは感じていなくて、むしろ若者の方がほかの世代に比べて銭湯の価値を理解してくれると思っているんです。

今の若者は様々なSNSを使っていますが、そうなると、知らなくてもいいような情報が入ってくるような、繋がりすぎて疲れてしまう状況があると思うんです。
かといって、社会は自分事ではなく他人事なんです。自分が住んでる街もよく知らないし、イベントにも参加しようとしない。社会は他人事なのに周りの情報には振り回されてしまう。そんな時代では病んじゃうような子も多くなっちゃいますよね。
そんな中で、自分の街に暮らしている人とただ湯を共有するという、利害関係のない銭湯という存在は、すごくちょうどいいんですよ。

だから、便利な世の中にいる若者世代だからこそ、便利さではない、なくてもいいんだけど、あると豊かなものである銭湯は、その存在価値がよく伝わるんですよ」

ーー若者は銭湯に関心を失うのではなく、むしろ銭湯の価値に気づいてくれる存在だと思っているんですね。

「私は若者に対してよりも、昔の銭湯とは違う空間を作らなければ若者は来ないと、銭湯の価値を信じられない方が増えていることがとても心苦しいです。

これは日本文化全てにおいてもいえることだと考えていて、日本文化を、「わかる人だけにわかればいい」という風に考えてしまうと、やがて伝統になり廃れていくんですよ。
一方で、続けることを目的に、歴史ある文化が変わろうとすると、反発が起こることも事実です。これは小杉湯が原宿に開業する時にもありました。しかし、続けることを諦め、変わることをやめてしまえば、文化は廃れ、儚く散ってしまいます。儚く散ることの美学が強い国ではありますが、小杉湯としては長く続いていくことの美しさを伝えたいと思っているんです」

これからの原宿と小杉湯

ーーこれからも、誰もがいつでも小杉湯原宿を利用できるために、心がけていることはありますか。

「お客さんが2回目、3回目以降も行きたいと思ってくれるような場所にしたいです。

もともと、開業してから3か月間は、オーバーツーリズムを避けるために、銭湯の利用者を地域の方に限定していました。
商業施設って、オープン後は人が殺到するのですが、その後、再訪する人は少なく、2、3か月後には閑散とし始めます。なので誰もが気持ちよく入れるためにも最初は利用者を抑え、街の方を中心に常連さんを作ることに力を入れました。

私はこの2年間ほど町内会への参加などを通して、地元の方々の顔を見て、どうしたらその方たちが自分の行く場所だと思ってくれるかを本気で考えました。
実際、小杉湯原宿には赤ちゃんからご高齢の方々、中には学校前の中高生が来てくれたりしていますし、地元の方が来てくださる銭湯になっています。

そして、開業4か月目からは、一般の方々が入れるようになりましたが、綺麗に利用者も分散してくれて、誰もが気持ちよく入り、スタッフも楽しそうな空間になりました。ただ、どなたにも来てほしいと思っている一方、原宿にあるからこそコントロールしなければ衰退してしまうとも思っています。
例えば、何度も小杉湯に足を運んでいただきたいからこそ、私はSNSのショート動画に載りたくないと思っています。なぜなら、そこで人々が見た瞬間に疑似体験や、行かない場所になったりしてしまいます。一過性のバズではなく、街の銭湯として皆さんに何度も使いたいと思っていただける空間にしたいです」

▲2024年4月にオープンした東急プラザ原宿「ハラカド」

ーー小杉湯原宿は、百年に一度の渋谷の大再開発の一環として原宿の地に開業しましたが、このことに対してどんな気持ちで、これからどうありたいと思っていますか。

「全体として一貫しているのですが、やっぱり日本は社会もディベロッパーも文化の価値を信じてはいないと思うんです。歴史のあるビルを形だけ残して、そこに賃料を高く払えるオフィスや店舗を入れるだけでは文化は生まれるはずもなく、日本のどの街もが金太郎飴状態になってしまうんですよ。

そんな中で、日本にあるべき再開発は何なのかという観点で、今回の渋谷の大再開発で街の銭湯に希望を見出してくれたのは、社会にとって大きな一歩で、絶対に成功させなければいけないという気持ちでいます。
もしここで私たちが失敗したら、再開発で文化に投資をするという考え方はなくなると思うんです。だから、今回の再開発に小杉湯が関わるというのは、日本に、街に、文化を残していくという挑戦を勝手に背負っているという感覚です。小杉湯原宿を皮切りに、第2の街で新たに銭湯をつくる会社やディベロッパーが生まれてきたら、これ以上嬉しいことはないです」

ーーそんな文化を街に残したいと思っている関根さんですが、小杉湯原宿がこれからも10年、100年と長い単位で見たとき、どのようなことをしていきたいですか。

「いい社会にしていきたいですね。もうそれだけです。銭湯だけではなく、10年後20年後も銭湯のような産業や文化を残していきたい人たちをみんな巻き込んで、社会に対し大切さを発信していきたいし、届けていきたいと思っています。銭湯というのは大衆文化なので、そこで日本文化を体験してもらうことはすごく価値のあることだと思っています。例えば、桶は滋賀の中川木工芸の木桶を使っているし、このフロアには熊本県八代市のイグサを使った畳があります。このような体験を通して、今ある文化や産業の価値が見出され、社会からの見え方が変わっているような10年後、20年後を迎えられたらすごく嬉しいです」

編集後記

いつも小杉湯原宿を何気なく利用している私ですが、この取材を通して小杉湯原宿に対する見方がすごく変わりました。関根さんにインタビューをして、とても芯があり、物事にまっすぐ向き合い、考えてる方だと感じました。関根さんの社会に対する思いと、銭湯に対する熱い気持ちが、この小杉湯原宿という空間を生み出していて、ただ銭湯を運営するだけでは生まれない空間なんだと思いました。
そして、銭湯と日本の文化について熱く語られる関根さんの姿がとても印象的でした。小杉湯が原宿に開業したことに、関根さんは希望と責任をもっておられていて、10年後、100年後の原宿、日本の社会は大きく変化しているかもしれないと感じました。
これからも街の銭湯として、小杉湯原宿を長く使っていきたいと強く思いました。

◾️関根江里子

株式会社小杉湯 副社長
株式会社ペイミーでの取締役を経験後、2022年に銭湯経営を目指し独立、株式会社小杉湯に入社する。現在は「小杉湯原宿」の番頭も務め、銭湯と日本文化を残すために様々な活動を行っている。

◾️株式会社小杉湯 概要

代表取締役 平松佑介
高円寺にある昭和8年創業の「小杉湯」の場所と環境を、50年後も100年後も守り続けるために運営をおこなっている。2024年4月には「小杉湯原宿」も開業した。
株式会社小杉湯
https://kosugiyu-company.jp/
小杉湯原宿
https://kosugiyu-harajuku.jp/

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