
2025年4月26日から5月11日まで、ラフォーレミュージアム原宿にて、YOSHI企画展『令和のロックスター』が開催されました。続いて5月15日からは、YOSHIのトリビュートドキュメンタリー『令和のロックスター』が、FODにて配信されています。
私自身、YOSHIの大ファンで、中学時代に彼に出会って以来、ずっとロールモデルとしてリスペクトしています。19歳という若さで突如この世を去ったYOSHI。彼の声を直接聴くことはもうできないけれど、彼が世の中に残したメッセージは、これからも在り続けます。
今回は特別に、本企画展の企画者であるプロデューサーの邨山直也さんにお話を伺い、YOSHIから受け取ったメッセージや、知られざるエピソードを、企画展の様子とともにお届けします。
企画展開催までの経緯

ーー企画展を開催されるまでの経緯を教えてください。
実は僕、プロデューサーになる前は、16年間ずっとステージデザインの仕事をしていたんです。その頃から、STARBASE(YOSHIの前所属事務所)のライブのお手伝いをしていて、スタッフの方々とは長くお付き合いがありました。
プロデューサーの部署に異動したタイミングで、「実はYOSHIのドキュメンタリーを制作したいと思っている」という相談を受けて。僕はその時、YOSHIくんのことを少ししか知らなかったけれど、STARBASEの方からお話を伺う中で、“これは絶対にやるべきだ”と思ったんです。それですぐに上司に相談して制作に取り掛かりました。それから約1年にわたるドキュメンタリー制作が始まりました。
第2の故郷で、ママへのプレゼント

ーー原宿といえば、YOSHIが大好きで、よく遊んでいた場所だと思うのですが、ラフォーレ原宿で開催されたのには、何か理由があったのでしょうか?
もともとは別の部署がラフォーレ原宿でイベントを開催する予定で、すでに会場を押さえていたんですが、その予定が変更になってしまって。ちょうどその頃、ドキュメンタリーが完成間近だったこともあり、“それならばプロモーションも兼ねて、この場所で企画展をやるのはどうか”という話になったんです。
おっしゃる通り、YOSHIくんは、“原宿は第2の故郷”とよく言っていて。そんな彼にとって特別な場所で、しかもちょうどこのタイミングで会場が空いたというのは、偶然というより運命なんじゃないかと感じて。YOSHIくんがここでやりたいって言ってるように思えたんです。それでラフォーレ原宿での開催を決めました。
ーーなぜこのタイミングで開催されたのでしょうか?
本当は、YOSHIくんの誕生日である2月26日に、ドキュメンタリーの完成を間に合わせる予定だったんですが、制作に思った以上に時間がかかってしまいまして。
5月はYOSHIくんのお母様の誕生月なので、制作にあたり全面的にご協力いただいた感謝も込めて、“お母さんへのギフトにしよう”と目標を新たにしました。
YOSHIを知る旅/100時間のレコーダー
僕は、YOSHIくんとお会いしたことがないんです。だからこそ、ドキュメンタリーを制作する上で、彼の仲間や家族、深く関わってきた人たちから「YOSHI」を教えてもらう、YOSHIくんのエネルギーをおすそ分けしてもらう旅を始めました。ゼロ状態からのYOSHI漬けの日々です。
お母さんが何日もかけてYOSHIくんと関わりのあった人を紹介してくださいました。通常だと、何人かのスタッフで手分けして聞きに行くんですが、僕は一人ひとりから直接聞きたいと思って、レコーダーを買って、自分で会いに行きました。地元の十条や原宿、ジムのトレーナーさんや、ショップ店員さん、美容師さん、スタイリストさんに焼肉屋さんまで、彼に触れた人々の話はどれも深くて、愛に満ちていました。100時間を超える録音時間とともに、YOSHIくんのエネルギーに少しずつ触れられているように感じて、聴けば聴くほど「愛」でいっぱいな人だなと、直接会いたかったと強く思いました。

みなさんにお話を伺う中で、毎回「YOSHIっていうと何ですか?」と聞いていたんですが、みなさん口を揃えて「愛」だっていうんです。愛のある人間で、誰に対しても平等で。年上とか年下とか、立場の上下とか、そういうボーダーがとにかくなくて、全員が同じフィールドに立っているんだと、堂々と言い放つ人間だって。
それを聞いて、ホワイトボードに絵を描きました。YOSHIが自宅で創作を始め、そこから十条、原宿、そして世界へと繋がっていく。作業机を中心に始まり、どんどんみんなを巻き込んで、まるで「波紋」のようにYOSHIくんの愛が広がっていくんです。それで、「波紋」というテーマで展示をしてみるのはどうかと思ったんです。お母さんにお見せすると、“まさにそれだと思います”と言ってくださって、そこからこの展示空間の構想が動き出したんです。
壁を作らず、広がる波紋

ーー今回の展示スペースはとても印象的でした。円状に展示されていて、順序がなくて。中心にはYOSHIの作業机が見えて、周りにはYOSHIの大事なモノが広がるように飾られていて。何というか、始まりも終わりもないような空間で、何度もぐるぐる回って、時間を忘れて見入ってしまいました。
壁を作らない空間にしたんです。YOSHIくんが創作していた机を真ん中に置いて、その奥に原宿で着ていたジャケットが自然に見えるように照明を当てました。スクリーンも、仕切りを作らず映像がずっと見えている状態にして、全体がつながっている空間にしたかったんです。YOSHIくんがこの世界に現れて、そこから人とのつながりが「波紋」のように広がっていくイメージです。円形の会場もそのイメージに合っていましたし、キャプションも普通の展覧会のようなものじゃなくて、関わった人たちの“話し言葉”だけで構成しました。布に印刷して、風に揺れるようにしたのも、固定したくなかったからです。どこまでも続いていく波紋のように、彼のエネルギーを受け取った人たちが、また誰かへとつないでいく展示にしたかったんです。


表現のカタチ/伝えたいメッセージ

ーー今回の展示会場では、初めて目にするYOSHIのアート作品やアイテムがたくさんで驚きました。こんなに絵を描いていたんですね。
正直、僕もこんなに描いてたんだって驚きました。これまで絵の印象があまり強くなかったんですけど、1st album「SEX IS LIFE」のジャケットも自分で描いていたり、特にコロナ禍の時期にはものすごくたくさんの作品を描いていたようです。
誰もが何もできず、家から出られない状況の中で、真っ先にマスクを作ったり、絵を描いて発信したり。さらにチャリティーTシャツとマスクの販売をして、その売り上げのすべてを医療従事者の方々に寄付されたんですよね。当時、YOSHIくんはまだ17歳。本当に年齢なんて関係ないんだなと思いました。素晴らしい表現者であり、何より行動力が圧倒的ですよね。



本当はもっとたくさんの作品があるんですが、今回はその一部をお借りして展示させていただきました。作品の中には、キャンバスを切り裂いているものとか、燃やしているものもあって、とにかくメッセージがすごく強い。
自分の想いや伝えたいメッセージを、言葉として表すのか、歌で表すのか、ファッションで表すのか、アートで表すのか。その違いだけで、彼にとって表現のカタチに境界はなかったんだと思います。型にハマらないからこそ、一層想いがこもって、メッセージがより強く伝わるように感じます。
モノに対する想い

ーーYOSHIのモノとの向き合い方ってすごいですよね。ひとつひとつのアイテムにちゃんと思い入れがあって、ただ身につけてるだけじゃないというか。
多くの人は大事なモノほどしまっておこうと思うけれど、YOSHIくんは逆で、大事なものほど使うし、身に付ける。結局、しまっておいても何にもならないんですよね。
“飾っておく”ということをあまりされなくて、全部使う。どんなにレアなヴィンテージアイテムだろうがなんだろうが、着てなんぼ、身につけてなんぼ、というか。そうやってモノをちゃんと生かすんです。ファッションも音楽もアートも、やっぱりすべてのモノに対して愛情があるんだと思います。

今回の展示にもあったAMBUSHの何万円もするTシャツ。YOSHIくんはそれを躊躇なく燃やして、「こっちの方がかっこいいでしょ」って。缶バッチをつけたり、別の生地を縫い合わせてみたり。誰かが作ったものをただそのまま着るんじゃなくて、自分なりに手を加えて、自分のモノとして落とし込むんですよね。
多くの人は「かっこいいな」と思うモノがあったとき、まず真似をするところから入ると思うんです。でもYOSHIくんは「これいいな」と思ったら、「じゃあ俺だったらこうする」を必ず形にするんですよね。そこに自分が乗るから、最終的にはすべて“YOSHIのモノ”になるんだと思います。

バックグラウンドを知ること/モノを視る姿勢
YOSHIくんにとってブランドは大事ではなくて、大切にしているのは「歴史」なんだと思います。十条で育ったYOSHIくんは、両親が不在のときには地元でごはんを食べたり、古着屋をのぞいたり、駄菓子屋のおばあちゃんに怒られたり、あたたかい十条の街に育てられたそうです。そうやって街から学び、影響を受けていたんだと思います。やんちゃなYOSHIくんは、怒られることもよくあったようなんですが、そこで怒られたから行かない、なんてこと絶対しないんです。その人に興味があるから通い続けるんですよね。「もっと知りたいからこの話聞かせてよ」「これどういう歴史があるの」ってたくさん話しかけるんです。話す側もそんなに興味を持ってきてくれる少年がいたら、可愛くて仕方なくて、どんどん教えちゃうじゃないですか。そしてYOSHIくんはどんどん吸収して自分でも調べて詳しくなって。やっぱりモノに対して、ただアイテムのファンなんじゃなくて、歴史とストーリーが好きなんですよね。モノを視るということの本質だと思います。

このアイテムが綺麗でかっこいいから好き、じゃなくて、これはどういう歴史のもとにできて今こうなってるんだって、バックグラウンドを見てるんですよね。
ちゃんとバックグラウンドを知ってるから、だからこそ人が惹きつけられるというのもあると思います。実際の言葉として知っている知識や持ってる言葉っていうのは、ものすごく説得力があるんだなって、聞いていて思いましたね。
あとは、街への愛が深いなって思います。十条の駅前にタワマンが建ってるんですけど、最初それが建設されるってなったとき、YOSHIくんが言った言葉があるそうで。「俺はビッグになってあのタワマンを壊す」って。面白いですよね。売れてあそこに住むんじゃなくて、街のカルチャーを守るために壊すんだって。ロックでかっこいいなと思います。
伝説とは、生きてこそ

ーー「YOSHIを知る旅」をする中で印象的だったお話はありますか?
ドキュメンタリーのインタビューで菅田将暉さんがおっしゃっていていいなと思った言葉があるんですけど、「死んで伝説になるんじゃダメだと思う。生きて何か成し遂げてこそ伝説。死んでヒーローになるのはすごいことではない」って言われていたんです。それはきっとYOSHIもそう言うんじゃないかなって。
YOSHIくんを“若くして亡くなったロックンローラー”って美化されて取り上げることも多いけれど、実は裏ではいっぱい悩んで、たくさん考えて、辛い思いもしていて。でも表ではスターとしての姿があって。
ぜひこの展示やドキュメンタリーを通して、彼の活動や成し遂げてきたことを見てほしい、YOSHIくんの言葉や想いをもっと多くの人に届けられたらって思います。
YOSHIから学んだこと/キーワードは「愛」

YOSHIくんを知る旅を経て、“愛すること”について考えさせられました。お話を伺いに行った人、みんなYOSHIくんが大好きなんですよね、愛を感じるんです。それはYOSHIくんが愛を持って人と関わっていたからだと思います。
日々人と関わってると、当然、なんか好きじゃない、苦手だな、嫌だなって感じてしまう相手もいると思います。でも、自分がそう思っていると、相手もきっと同じように感じるわけで。そんなときでも、まず自分からその人を愛そうという選択をしてきたのがYOSHIくんでした。怒られたり、違うだろって言われても、めげずに愛し続けていた。だからこそ、自然と周りに人が集まるんだと思います。
何かを否定するのではなくて、むしろ自分から抱きついてみる。その結果、自分にとって最大のパートナーになれるかもしれない。それはビジネスでも、友人関係でも、人と関わる上で大事なことだと学びました。YOSHIくんには“とにかく愛せ”と言われた気がします。

人だけじゃなく、物事や仕事も含めて。全てにおいて愛を持てば、それは必ず伝わり、広がっていく。「愛」という言葉は一見シンプルだけれど、実は一番難しい。嫌なものも愛さなきゃいけないけど、愛し続けてもダメなものはやっぱりダメ。でも、とにかくまずは愛せ、そう言われた気がしてます。
ーー愛する、その言葉の根底には心からのリスペクトが在るように感じます。YOSHIに対して愛とリスペクトを持って向き合った邨山さんだからこそ、この空間や映像ができていったのかなと感じました。
何においても絶対に好きな部分ってあると思うんです。どんなに苦手な人でも、“1ミリ”の良いところは必ずある。その1ミリを愛することで、その先に無限に広がる素敵なことがあるかもしれない。ビジネスにおいても、たとえ状況や環境が悪くても、その1ミリの隙間に着目してやってみると、一気に広がっていくことがあるんです。それを見つけるのが仕事であり、人生であり、そして愛なんだと思います。
「またね」

ーーテレビで本企画展のCMを見ました。YOSHIの「またね」という言葉で終わるのが印象的で、ものすごくグッときてしまいました。
たとえ形がなくなったとしても、考え方や想いというのはちゃんと残っていると思うんです。それを思い出すこと自体が大切で。だから、思い出すきっかけになるドキュメンタリーであり、展示会で在りたいです。
あの「またね」という言葉には、“会場でまた会う”という意味もあるし、“また思い出して、また会おうね”という意味もあるんです。最後はどうしても「またね」で終わらせたくて。たった15秒だけど、そういう想いを込めたCMでした。
最後に
最後に少しだけ、私の言葉を残そうと思います。
私がYOSHIと初めて出会ったのは、中学生の頃。12月のクリスマスの時期に、表参道のイルミネーションの下で出会いました。少しの間、立ち話をして「一緒に世界を変えよう!」と盛り上がって。その日を境に、私は私なりに世界を変えようと、そしていつかまたYOSHIと立ち話をして、「いい世の中になってきたね」と言えたらいいなと、そう夢見て活動してきました。
大学生になって、原宿表参道の街で活動するようになって、この街でたくさんの人に出会いました。YOSHIの遊び場で、時々YOSHIの名前を耳にして、やっぱりこの街にはYOSHIの波紋が広がってるなと感じて。立ち止まってばかりじゃいられないって、ものすごく原動力になっています。
今回、邨山さんにお話を伺って、なんだか久しぶりに、YOSHIのエネルギーに触れられたような気がしました。愛を持つこと、ステータスなんて関係なくフラットに人を視ること、リスペクトを忘れないこと。YOSHIから教えてもらった大切なことを思い出すきっかけになりました。YOSHIの波紋に触れながら、私もまた、この街で新たな波紋を生んでいけたらいいなと思います。
ありがとう。
またね、YOSHI。
◾️邨山直也
2006年より美術デザイナーとして活動を始める。
バラエティ、音楽、情報、スポーツといったテレビ番組を中心に美術デザイナーとして活躍。その活動はテレビだけではなく、ライブ、イベント、舞台などアートディレクションも含め多岐にわたる。「ストーリーのあるデザイン」をテーマに数々の空間を作り上げ、既成概念にとらわれない空間作りで数多くの演出家やクリエイターとタッグを組み新しいコンテンツを生み出している。現在は企画プロデュースからブランディングまで幅広く活動。TOKYO2020パラリンピック閉会式のセットデザインを担当。
◾️YOSHI
instagram : https://www.instagram.com/yoshi.226/
ドキュメンタリー『令和のロックスター』: https://fod.fujitv.co.jp/title/806n