
神宮前5丁目。原宿の喧騒から一歩だけ脇道に入ると、空気のふっと細かくなる場所があります。木々に包まれるように佇む穏田神社です。20205年12月13日、ここで茅の輪の設置が行われると聞き、昨年に続き2回目となる参加をしてきました。長年、地域に親しまれてきた神社の年末行事が、どんな手つきで立ち上がっていくのか。その場には、派手さとは別の意味で“原宿らしい”光景をみることができます。
そもそも「茅の輪」は、茅(かや)で作られた大きな輪をくぐり、けがれを祓い、健康を願うためのもの。年の節目に心身を整え、新しい年を清らかに迎えるという意味合いが込められています。由来として語られるのは、古事記に登場するスサノオノミコトの伝説。旅の途中で助けられた家へのお礼に、災いから身を守る方法として茅の輪を授けたとされ、そこから「病気や災いをよける」と信じられてきました。神社に設置された茅の輪は、左回り→右回り→もう一度左回りの“八の字”でくぐり、無病息災や家族の安全を願うのが一般的です。
境内の掃除から始まる「地域」とのつながり

境内にはイチョウの落ち葉が多く、秋と冬の境目が感じられる空気の澄んだ日でした。境内の掃き掃除から始めた準備中も、参拝客は途切れず、地元の信仰が“現在進行形”でそこにあることを感じます。
茅の輪づくりは、機械の力ではなく、人の勘と会話で形が決まっていきます。道具は使わず、手と紐で一つ一つ編み、輪を整える。左右対称の円にするのが難所で、過去にも設営を手伝ったことのある人同士が「前回こうだったかな」と確認し合いながら、和気あいあいと作業が進んでいきました。設営のプロセスそのものが、完成品だけでは見えない“地域の時間”を可視化しているようにも感じました。
穏田神社の宮司 船田睦子さんによると、茅の輪の設営は先代から続けてきていることだといいます。いつ頃から始まったかは定かではないものの、全国の神社で大祓に先立ち茅の輪を設える流れの中で、穏田神社でも行われてきました。反響が大きく語られる行事ではない一方で、最近は茅の輪自体の認知が上がり、「自宅近くの神社でも見るので、くぐりました」といった参拝者からの声が届くこともあるそうです。

変化の速い街で、残したい景色。輪がつなぐ“これから”
印象的だったのは、“地域の手”がここ数年で増えてきた、という話でした。ご自身の代になってから、地域の人が手伝いに来てくれるようになり、行事の存在や準備の過程を知ってもらうことで、神社をより身近に感じるきっかけにもなっているといいます。実際、作業に加わっていた方の言葉からも、それが単なる奉仕ではなく、“この街で暮らす実感”に繋がっていることが伝わってきました。輪をくぐって祓う前に、人と人の間にも、小さな輪が生まれているようでした。
穏田神社ならではの工夫もあります。強風で倒れないよう、茅の輪を支える支柱を埋め込む形で設計し、町会(東会・小若会・九重会)の奉納もあって現在の形になったとのこと。先代の時は大きな石に木の支柱を刺して一人で作業していたため、代替わり当初は強風で2回ほど倒れてしまったことも。さまざまな神社の例を参考にし、宮大工とも相談しながら改良されてきています。伝統行事は“昔のまま”に見えて、実はその都度、土地の風や時代の条件に合わせてアップデートされている。ここにも、地元の知恵の蓄積があります。


原宿表参道は、変化のスピードが速い街です。新しい店が生まれ、風景が塗り替わり、流行が波のように寄せては返す。けれど、穏田神社の境内で進む茅の輪の設営は、その流れとは別の時間軸で息をしていました。「変わるものと変わらないもの」。変化の目まぐるしい原宿というまちでも、こうした行事を地域の方が支え続ける姿は、残していきたい街の景色の一つだと思います。

この地域には、大きなイベントだけでなく、季節を受け渡す小さな営みが点在しています。私たちが「地元」と呼ぶものは、派手な話題よりも、むしろこうした準備の時間や、顔を合わせて手を動かす関係の積み重ねでできているのかもしれません。地元の行事を大切にしてきた人、これから大切にしていこうとする人。その両方を、私たちは応援していきたい。茅の輪の“円”は、そんな意思を静かに形にしているように見えます。
引っ越してきた先の地域で、こういった活動に参加できることをとても幸せだと感じました。
(取材者:新戸亜依)












