自由で個性的な雰囲気を醸し出すまちを目指す 原宿竹下通り商店会 土田康博さん

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世界に向けて「カワイイ」をはじめとするヤングカルチャーを発信する拠点である原宿・竹下通り。トレンドのファッションやコスメ、スイーツなどの店舗が立ち並び、多くの観光客で賑わっています。私も竹下通りに憧れて、地元から遊びに来た過去も……。今回はそんな原宿竹下通り商店会の理事で広報・販促担当の土田さんにお話を伺いました。

商店街の役割や原宿の街の特徴を発信し続ける

当初、商店街のイベントを請け負う取引会社という立場で10年程関わっていた土田さん。本業は別のことをしていましたが、手伝っている中で、原宿竹下通りをこういう街にしていきたいなというものがあり、それをプレゼンしたところから商店会に本格的に関わるようになったとのことです。

商店会に関わる人は、昔からその土地に住んでいたり商売をやっていたりする人が多い中、外から入って来た土田さんのようなタイプは珍しいようです。商店会のメンバー全員が原宿の街の役割や発信力を意識しているわけではないので、土田さんのような外部からの視点は非常に重宝されているようです。

商店会の理念として「自分達で扱えないものはやらない」としてあるとのこと。取引会社任せでやってもらうのではなく意思をしっかり持って商店会が主導権を持って物事を進められるようにしているようです。

土田さんにとって原宿竹下通りの好きなところは、「自由で楽しいところ」。昔からどんな服装をしていても受け入れられる雰囲気が好きとのことです。服はもちろん思想などの表現も受け入れ、何事も肯定することができる街だと感じているようです。

タレントを目指す人にとってもある種登竜門のようになっているのが原宿竹下通り。商店会もいろいろと活動し、竹下通りを歩く若者を守るための体制をきちんと整えたのも事実です。多様な人が集まる街だからこその苦労も多くあるようです。

日本のカルチャーを発信できる場所は原宿や渋谷くらいではないかと。渋谷ファッション、原宿ファッションなど、文化を発信できる場所は限られているので、原宿はそういった役割も果たしているのではないかと感じているといいます。だからこそ面白いことをして行きたいと、土田さんは話します。

原宿竹下通りの歴史は?

竹下通り商店会が設立されたのは昭和47年。原宿竹下通りは元々住宅地だったようです。お店が立ち並ぶようになったのは昭和30年代から。JR(当時は国鉄)の竹下口は開いたり開かなかったりしていたようでしたが、常時解放されるようになり町が発展していったとか。オリンピックを機に環境浄化しなくてはならなくなり文教地区になりました。

東京オリンピックにより注目されるようになった原宿。近隣の表参道に比べ竹下通りは地価が安かったらしく、竹下通りでならお店を出せるという人が増え、若い人たちが集まってきました。また道の幅が狭すぎでもなく広すぎでもないのがよかったとか。

ファッションが流行って甘いものが流行ってと両輪で築いてきたのですが、最近は甘いもののイメージがついていること。スクラップアンドビルドで新しいファッションと何かが融合してまた新しい路線ができていくのが原宿ファッションの醍醐味だと土田さんはおっしゃっています。近年では、ゴスロリや原宿っぽいファッションをフューチャーしたイベントなどにも取り組んでいるようです。

ファッションが盛んでなくなってくると、竹下通りに来る年齢層がどんどん下がっていくんだとか。最近は小学生や中学生を見ることが多いようです。なるべく10代に刺さる企画を行っていきたいと土田さんは話します。

商店会員と竹下通りを訪れる人のことを考える

まちづくりの観点でいうと、女子高校生が安心安全に歩けるまちを目指しているとのこと。また日本の若い子向けに日本のコンテンツを発信していく場にしていくことを使命としているようです。外国人が増えすぎると日本人がいなくなってしまうことも懸念事項のようです。日本の若い子たちが楽しめる場所を作っていきたいとのことです。

最近は外国人の方も多いですが、彼らは原宿に訪れる日本人を見にきている人が多いようです。原宿に行ったら、ゴスロリファッションの人に会えるじゃないか、きゃりーぱみゅぱみゅみみたいな人に会えるんじゃないかと思って来ている人が多いような気がするとのこと。浅草のような歴史的建造物はないので、日本の若い子の感性を活かせるような事業を作っていきたいと土田さんは語っています。

また原宿の良いところとして、だいたい小学生くらいで竹下通りデビューをして、中高生くらいで原宿で遊んで、専門学生や大学生になったらウラハラで遊んで、働きはじめて表参道に行って、子どもができて竹下通りに戻ってくるという循環があるのもポイントだとか。そういった意味で竹下通りは入口の役割を果たしています。

年に3回、春休み・夏休み・冬休みのタイミングで竹下通りMAPを作っている原宿竹下通り商店会。年間15万部くらい発行しています。こちらのデザインは東京デザイン専門学校にお願いしているとのことです。また商店会員さん向けに面接や会議などができるスペースを無料で貸し出しているとのこと。会員になってくれたテナントさんに最大限の還元ができるように努力されている様子が伺えました。

MAPは外国語対応されているかと思ったら日本語対応のみ。その代わりひと目で見て分かるアイコンやピクトグラムがたくさん表記されています。一店舗一店舗丁寧に描かれていてとても素敵なMAPでした。竹下通りは店の入れ替わりが多いようで、多い時で10店舗ほど店舗の修正が入るようです。

竹下通りの変わった特徴として、1つお店が入るとそのジャンルのお店ばかりになるんだとか。靴下屋が流行ったら靴下屋ばかりになる。何かが流行ると一気に広がるという習性があるようです。直近は音楽が来るのではないかと土田さんは感じているようです。

最後に土田さんはたくさんの若い人に訪れて欲しいと語っていました。「派手な格好や世間からちょっと浮くような格好でぜひ歩いて欲しい。それでまちを楽しんでもらうと伝播していくと思います。それが原宿竹下通りのカルチャーです!」と。ぜひ原宿竹下通りで友達を作って欲しいとのことです。

今回のインタビューでは、原宿の街の自由で個性的な雰囲気を大切にしながら、若者を惹きつけるコンテンツを提供し続けることの重要性が感じられました。魅力のあるコンテンツを増やし若者が楽しんでもらえるまちを作り、商店会の役割や原宿竹下通りの特徴を発信し続ける。これからの原宿竹下通りの進化もとても楽しみです

▪️土田康博
原宿竹下通り商店会 理事で広報・販促担当
2012年に広報に就任。現在竹下通りで年に数本のイベント・キャンペーンを主に担当。
商店会会員店舗と企業のコラボやタイアップなども積極的に行い、地域に新しい文化や街の発展を促す、商店会ならではの活動をメインに行っている。

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